未来の漁師に必要な能力は何か?-22世紀を見る君たちへーこれからを生きるための「練習問題」(平田オリザ)

教育のことはわからない なぜなら、未来はわからないから(p5)


本書は劇作家、演出家、教育者として知られる平田オリザさんが題の通り22世紀に向かって生きていく若者たちに必要な力とは何なのか?その力を育てるために国は、教育はどのように進んでいくべきか?について問題点を挙げながら、自身の考えをまとめたものである。初版は2020年3月20日発行。

本書の構成は以下である。
序章 未来の漁師に必要な能力は何か?
第1章 未来の大学入試(1)
第2章 未来の大学入試(2)
第3章 大学入試改革が地域格差を助長する
第4章 共通テストは何が問題だったのか?
第5章 子どもたちの文章読解能力は本当に「危機的」なのか?
第6章 非認知スキル
第7章 豊岡市の挑戦
終章 本当にわからない

 

1.大学入試改革とは何だったんだろうか?


主に序章~第3章、第6章辺りから抜粋しながら要約していきたいと思う。
早速だが著者が考える今後の日本の教育の在り方の一つの考えが以下である。

教育政策と文化政策を連動させて子ども一人一人の身体的文化資本を高める必要がある(p187)

このような主張になぜ至ったについて述べる前に、そもそも日本政府が考える今あるいは今後求められるとされている能力について、大学入試改革の経緯等も交えながら簡単にまとめていく。

2020年の1月、現行のセンター試験が廃止され、いわゆる共通テストが開始される。(中略)「高大接続」と呼ばれ、大学入試の改革をテコにして、高校と大学の授業カリキュラムにも変革を迫ろうとする意欲的なものであった。これを称して「三者一体の改革」と言う。(p29)

さらに文科省はこれからの時代に必要な能力として以下の「学力の3要素」という概念を提言した。

ここで言う三要素とは、次の通りである。
■基礎的な知識・技能
■思考力・判断力・表現力等の能力
■主体的に学習に取り組む態度
また、三項目の「主体的云々」については、2014年に出されたいわゆる「高大接続改革答申」では、「主体性・多動性・協働性」と言い換えられている。(p30)

つまり政府は

「未来の世界ではこの学力の3要素(実はピラミッド型になっていて三項目が重要)のような能力が大切になっていくから、大学入試もこれらを評価できる形に改革するし、普段の授業でもこれらの能力を育てる活動(いわゆるアクティブラーニング)をしていきましょう」

という改革を行おうとしたといえる。
残念ながら様々な問題があり頓挫してしまったが(詳しくは本書第1章、第4章)、改革の方向性、「主体性・多動性・協働性」を身に着けることなど全体的には良いものだったと私は思う。


著者は「主体性・多動性・協働性」の重要性を「共同体」という観点からいくつか例を用いて説明している。

かつてこの豊岡、但馬の地に、東井義雄という教育者がいた。日本のペスタロッチとも呼ばれる東井先生は、昭和30年代に「村を捨てる学力、村を育てる学力」という概念を提唱した。このまま、いわゆる「学力」だけを伸ばしても優秀な子どもほど東京に出て行ってしまい、村は疲弊するばかりだ。もっと共同体を豊かにするような教育に、その教科内容を切り替えるべきではないか。(p14)

大阪大学リーディング大学院選抜試験の開発に携わった際、ミーティングにて漫画「宇宙兄弟」を例にとったとき。

そこでは当然、いろいろな能力が要求される。共同体がピンチの時にジョークを言って和ませられるか。明晰な解析力でピンチの本質を整理できるか。斬新な意見で共同体をピンチから救えるか。しかし、どんなにいい意見を言っても、日頃から地道な手作業などに加わっていないと信頼されない、などなど。(p67)

また、本書p69-70にもあるように現代社会ではweb上での公開講座やオンライン授業などが活発になったことで、知識や情報を得るコストは急速に低減した。だからこそ、

今は「何を学ぶか?」よりも「誰と学ぶか?」、つまりどのような「学びの共同体」を創るかが重要なのだ

という(実際、西川純先生が提唱している「学び合い」(p181)ではいかに学び合えるクラスを作れるかが重要となり、基礎学力も向上している)。

多様な学びが作りたいなら、多様な共同体、強くしなやかな共同体を創っていくことが必要である。

2.身体的文化資本


ここからは「主体性・多動性・協働性」を養うために冒頭で述べた著者自身の考えについて触れていく。

本書のキーワードの一つに「身体的文化資本」がある。

まず、「文化資本」は細かく、三つの形態に分類される。
一、「客体化された形態の文化資本」(蔵書、絵画や骨董品のコレクションなどの客体化した形で存在する文化的資産)
二、「制度化された形態の文化資本」(学歴、資格、免許等、制度が保証した形態の文化資本
三、「身体化された形態の文化資本」(礼儀作法、慣習、言語遣い、センス、美的性向など)
(中略)
この身体的文化資本を「センス」と言ってしまうと身も蓋もないが、「さまざまな人々とうまくやっていく力」とでも言い換えれば、それが2020年度の大学入試改革以後に求められる能力に、イメージとして近づくだろうか。(p89)

つまりこの「身体的文化資本」とは「主体性・多動性・協働性」を内包したより広義の能力というわけである。

しかし、この身体的文化資本は「センス」と表現されるようになかなかに多くの問題をはらむ。(p91-101)
・身体的文化資本は20歳までに形成される。
・身体的文化資本の格差は経済の格差と直結している。
・身体的文化資本を身に着けようという発想を持つこと自体が、自身を「非文化的」なものに変貌させてしまう。
・ましてや教育改革に持ち込もうとするとより格差は明確になってしまうというジレンマ。
などなど、確かにと思うものばかりである。習慣や性質などは一朝一夕で身につくものではないし、小さいころからの積み重ねであると思う。また経済的な豊かさがあれば、非言語的な文化にも触れやすく、多くの多様性と出会える。難しいが、必要なものだとも実感できる。

 

加えて「非認知スキル」という用語も重要となってくる。

これは学力テストなどで「認知」できる能力の対となるもので、知識や思考力を獲得するために必要だと思われる力、具体的には集中力、忍耐力、やり遂げる力、協調性などがそれに該当する。感情や心のコントロールに関する能力ともいわれる。

以下では本書に挙げられている「身体的文化資本」や「非認知スキル」に関する調査についていくつか抜粋する。

著者はお茶の水女子大学が発表した所得等の家庭状況と学力に対する調査の分析結果から「所得が低くても高い成績を示している」一群について調べれば、教育格差をなくすヒントが得られると考え、そこには「非認知スキル」が関係してくるのではと考察し(正確には調査を行ったお茶の水女子大学の浜野教授の考えに賛同した)、ゆるやかではあるが両者には正の相関があることが確認できた。(p177-p181)

浜野教授の研究で子供の学力差に関して親の日頃の子どもに対する働きかけ、接し方がどのように影響しているかというものがある。

興味深いのは、次に大きなポイント差が付いたこの項目だ。

■博物館や美術館に連れて行く・・・15.9ポイント差

これは、「毎日子どもに朝食を食べさせている」の10.4ポイント差を大きく上回っている。(p186)

つまり、ちゃんと毎日朝ごはんを食べるという習慣では学力差はあまりつかず、美術館に連れてってあげた方が学力を向上させる可能性を秘めているということである。(p184-187)

これら浜野教授の研究結果は「身体的文化資本」や「非認知スキル」がただの「人間力」だけでなく、基礎学力の向上に対しても何らかの、良い関係性がある(かもしれない)というエビデンスになっている。

3.まとめ


もう一度平田氏の主張を確認しておこう。

教育政策と文化政策を連動させて子ども一人一人の身体的文化資本を高める必要がある(p187)

なぜ、身体的文化資本を高める必要があるのか、それは豊かな多様な共同体にしていくため

もちろん勤勉な学力の高い者も集団には必要だ。自身の非認知的な部分を磨くことは浜野教授の例にもあるように学力とも関係し、よい共同体はよりよい学び合いができる。

また「教育政策と文化政策を連動させて」とあるように市町村あるいは国をあげて連携していかなくては、身体的文化資本と現代教育のジレンマは解消されることはないだろう。

本書には演劇教育や豊岡市の取り組みなど詳しい例が多くあるので読んでみてほしい。ここでは取り上げられなかった課題はまだまだ山積している。是非この「練習問題」に取り組んで還元していってほしい。

 

 出版されたものとは多少異なるが以下のwebサイトでも参照できる。

mi-mollet.com

強くしなやかな共同体を築くために。

 

宇宙兄弟 今いる仲間でうまくいく チームの話

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  • 作者:彰, 長尾
  • 発売日: 2019/07/30
  • メディア: 単行本